【肥前】佐賀市の年齢別人口【2008年4月末現在】
- 2008年 5月17日
備忘録です。
OSX(Leopard)でftpサーバとして使いたい場合。標準でtnftpdが動かせるので、動かす。
システム環境設定→共有→サービス→ftpサービスを開始
ftpログインできるユーザを限定する。コンソールで
#sudo vi /etc/ftpusers
ここに書いているユーザはログインできない。
そのままだとルートディレクトリにログインするので、それぞれのホームディレクトリにログインするようにする
#sudo vi /etc/ftpchroot
ここに書いているユーザはホームディレクトリにログインする。*だけだと全員。
システム環境設定→共有→ファイアウォール→ftpサービスにチェックを入れる
あとは一度ftpサービスを停止してすぐに開始
ニュースで。
キーボードのほうがトイレよりきたないって調査結果?
その価値判断からすれば、一番きたないのは人間でしょう
GW終わりですが、ペンキ作業で休日は実質1日。
体中だるいです。ペンキ作業は握力勝負ですね
Yahooメールのベータ版、申請したのはいつだったか、さっきベータ版に招待されたので、瞬間的にボタンをクリックしてました。
ぱぱっとさわってみましたが、すごいです。画像貼ったらまずいのかな?とくにヘルプにそういう記述はないですけど。ベータ版の特徴から引用します
ほんとにメールソフトみたいです。右クリックでメニューでるしD&Dできるし、3ペインだし、タブで複数同時編集できるし、自動チェックはするし、まぁ上記のようなことです。
もし独自ドメインが使えるようになるのなら乗り換えたいです。(Googleにはありますけど、なんか使えなかったんです。遅くて)
あ、でもいま固まりました。安定はこれからでしょうか。
OSXにWindowsからメインPCをスイッチしたとき、ExplorerとFinderの違いが一番とまどう部分じゃないかと思います。その中でも特徴的なのは、ファイルやフォルダのドラッグ&ドロップです。
Windowsでは、フォルダをD&Dするとすでに同じ名前のフォルダやファイルがあった場合、上書きコピーが基本になります。右クリックをしながらとか、コンテキストメニューとかの機能が便利です。
OSX(Mac)では右クリックでのD&Dはできないし、普通に上書きコピーもじつはできません。
できるのは置き換えです。上書きコピーと置き換えの違い?ちょっと説明が難しいです。
同じ名前のフォルダやファイルがある場合、置き換えるかどうか聞いてきます。置き換えると選択すると、ドロップされたFinderのほうのデータはいったん消去されてから移動されます。ちなみにoptionを押しながらドロップすると移動ではなくてコピーになります。でもそれでも置き換えです。(もっとちなみにoptionとcommandを押しながらだとショートカットを作ります。)
わかりにくいのでムービーで置き換えを表現します。AとBのフォルダをつくり、べつに1というフォルダとtestというフォルダを作成。testフォルダを1に入れて、1をAにいれます。Aの中には1というフォルダがあり、その中にはtestというフォルダがあるはずです。ここでBを1にリネームし、AにD&Dすると、置き換えるかどうかきいてきます。置き換えてみると、1というフォルダが置き換えられるので、testというフォルダはなくなってしまいます。ゴミ箱にもはいりません。
考え方の違いなのでどちらがいいか、ということはないんですが、使いやすさでは若干Windowsに軍配をあげます。なぜならコピー先のデータを消去してからD&Dすればosxの置き換えと同じになりますが、Windowsの上書きコピー(新しいデータのみを上書きし、それ以外のデータはそのまま)という動作はosxのFinderでは実現できません。
今からPS3を買った人間としては大変不思議におもうのが、
なんでコンバット系のゲームばっかりなんだ?
ということです。やたらと戦うことを強要されます。
とりあえずと買ったのがリッジレーサー7で、戦い疲れ、中古でグランツーリスモ5プロローグを2,394で見つけたので1からの4のプロローグまでファンだったので即買いし、数時間でクラスA残りわずか。ちょっと飽きてきました。リッジも先が見えたし、レース系はもうおなかいっぱいです。
そもそもPS3を買ったのはメタルギアソリッドの新作目当てなわけですが、発売される6月までなにもしない手はないわけですが、かといって面白そうなゲームはあとは格闘系かコンバット系しかないんです。とくにコンバット系は面白そうなゲームが目白押し。でも私としてはちょい食傷気味です。ネット対戦とかいいんです。まったり遊びたいんです。ぱぱっとできてさくっと楽しめてぽちっと終わらせられる、みたいな。
そういう意味ではWiiのゲームはよくできてます。メディアの交換がうっとおしいですが(おかげでFitが体重計とともに眠ってますが(いいわけ))
PS3はメディアセンターみたいな使い方とかできるし、ネットブラウザもなかなか使いやすいわけですが、でもそれはいま手元にあるmacbookproにはかなわないわけで・・・
龍が如く、かなぁ。でもこれ、子どもとかいるリビングでやるにはちょっとまずいような・・・
体験版で気になったのはバーンアウトパラダイス。へんな感想だけど、車をぶつけるのが気持ちいい。壊れっぷりがなんともいえないです。でもレースゲームはもういいです・・・
価格com見てもとくにないような。
スーパーマリオギャラクシーみたいなゲームがPS3でないでしょうか(お
過去のDLゲームでももういっかいチェックしてみます。
前回のエントリをかいたのもあるけど、
この「はてな」の利用者というのは、どうもいわゆるオタク気味の方が多いんじゃないかという印象を受けるのですが
を見て、やっぱりオタクってのがわからないので、これ(このエントリ)を書いて考えるのをやめようと思いました。
「はてな」のオタク気味ってわからないではないんです。トップページの目立つ場所に人気記事ってあって、そこにはFirefoxとかニコニコ動画とか一般の街頭でアンケートしても名前も知らないんじゃないかって単語がしょっちゅう踊っていますし、なによりデザインが一般的じゃない。リンク文字が青なのに、枠のバナーが水色ばっかりで、横の線が強く、整然と見せたいんだけど、文字を詰め込みすぎて失敗してるという。文字の間隔や大きさでも表現できていないからとにかく目線が動かしにくい。いえ、なれると動かしやすいんですけどね。(インターフェイスで慣れるというのは悪い意味でも使いますが)
この場合のオタク気味、というのは、ジャンルでいえばPC,ネットです。でもこれは当然のことで、アーリーアダプタが使うツールが多いし、なにより20代や30代の趣味がある男性にとって、ネットを使わないという選択肢はないに等しい時代です。
ということは、20代や30代の趣味がある男 = オタク気味
と考えてもそうヘンじゃない気がしてきました。岡田斗司夫氏の定義では趣味はこどもっぽい必要があるし、世間の目が存在していて対抗する必要があるのですが、世間の目はなくなりました。(というかなくなったと思って生活できる)対抗する必要がないので、子どもっぽいという定義が難しいのと、年代によって子どもっぽいの認識がかわるとか時代によってもかわるとかがあるので、そこもきにしなくていいかな、と。
となると、20代や30代というくくりは本来意味がないんでしょう。でも、まだかすかにのこっている世間の目(あると思えばあるのかも)に敏感なくくりなのかもしれません。
また、男という性別もそれに関係あるような気がします。端的にいえば童貞かどうかということでしょう。んで女性が省かれてしまう。なのでコレ。
オタク=日本人 ー 子ども ー 女 ー チャラ男 ー M3層
チャラ男を引いてしまうのは、非童貞のシンボルとして、でしょうか。
しかしこんだけ急に普及して、人間を差別的にカテゴライズする言葉なのにこれだけ定義が難しい、なおかつ引き算でしか定義できない(私の中で、ですが)ってのはまだに
オタク is DEAD
なんでしょうね。
岡田斗司夫のオタクはすでに死んでいるをよみました。前のダイエット本と世界征服は可能か、が面白かったので。
目次はこんなかんじ
第1章 「オタク」がわからなくなってきた
アキバ王選手権 普通の兄ちゃんだった「アキバ王」 一番のファンでありたい 出来合いのお宝 真剣10代しゃべり場 終りの予感
第2章 「萌え」はそんなに重要か
「萌え」がわからない 差別する人のメンタリティ アトランティスとバベルの塔 終焉への予感
第3章 オタクとは何者だったのか
オタクの定義 ネット上の定義 今の世間の定義
第4章 おたくとオタクの変遷
カタカナになった おたく時代 М君の存在 オタク学入門 イメージの好転 オタクの拡大 オタク原人と第一世代 第一世代はテレビっ子 第二世代と世間 純粋培養の第三世代 アカデミズムによる定義 東京だけが日本ではない
第5章 萌えの起源
日本社会の特殊性 少年マガジンの変遷と日本人の変化 変化はすべての男性誌に 水着は無敵 アニメファンの変容 アニメファンの断絶 「萌え」の誕生 「萌え」の浸透 多民族国家としてのオタク 女オタクの問題 女子という生き物 男オタクの女性化 オタク評論の限界
第6章 SFは死んだ
先例としてのSF 移民が増える SFファンの変容とSFの死 死の実情 少年ファンの時代 世代間論争のはじまり 世代間闘争へ 運動と闘争の果て SFの崩壊
第7章 貴族主義とエリート主義
映像がSFを滅ぼした 「萌え」はオタクを滅ぼすのか? オタク貴族主義 オタクエリート主義 貴族とエリートの反目 第三世代はセンシティブ 中心概念の不在 それぞれの壁 民族のアイデンティティー 努力が消えた 魂の本音
第8章 オタクの死、そして転生
オタクからマニアへ 自分の気持ち至上主義 日本とオタク 平成型不況の影響 個人の時代に 大人は損を引き受ける 大人の仕事あとがきに代えて 「オタク」たちへ
結局オタクとか萌えとかって生きてても死んじゃってても俺にはどうでもいいな、と思っちゃいました。
実は著者もそうなんじゃないかな?はじめにで、「昭和の死」とか「日本の変化」とかの話なら抽象的になっちゃうけど、オタク論なら語ることができる、としているけど、昭和や日本の変化は時代の問題だけど、オタクって時代の問題?オタクとオタク以外に日本人(人間?)をわけて、オタク以外の日本人からの目線をすごく問題にしてて、でもオタクの一般化によってオタク同士の目線もそれと同じようなかんじになっちゃった。それを死と表現するのは時代の問題にしたいんでしょうけど、無理があるような気がするんです。P73でこうあります。
「世代として大きくくくるのは常に危険がつきまとう」
それでも時代、世代でオタクを斬る必要がある。と。なぜなら同ページに
私が最初に感じた「最近のオタク文化は、なんだか違う」という違和感を説明するためには、不完全で危険と走りつつ世代論を語るしかない
そもそも世代はオタクの世代ではなくて時代の世代ということだけなのでは?最近のオタク文化っていう言葉自体に意味がないのでは?と思ってしまいます。
あちこちで「オタク」の定義をしようとまずはいろんな引用があり、かなり後半(P138)でやっと著者の定義がでてきます。
私が定義したオタクというのは、子供っぽい趣味を選び、それに関して、精神力と知性でもって世間の目に対抗していく存在
ここで、あぁなるほど、と腑に落ちました。すばらしい定義ですが私とは違います。この定義では、子供っぽいというのが時代によってかわるので、オタクの定義は時代でかわるでしょう。もちろん人や年代にとっても違いますね。また、世間の目に対抗しなくてはいけませんが、世間の目がなければ対抗しようもありません。
うがった見方をすれば、P190(最後のページ)の
僕もオタキングを廃業し、自分自身の文化を探し始めることにしよう。
これを言いたかっただけなんじゃないか、と。でも会社名(株式会社オタキング)は名称変更されるのでしょうか?
ちなみに私のオタクの定義は「こだわる人」です。ほら、どうでもいいですね。